黒澤明監督 111才

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こんにちは、

よぴまるです。

今日3月23日は、映画の黒澤明監督の111才の誕生日です。

黒澤監督は、1910年3月23日、現在の大田区東大井で生まれました。

名前だけは僕が中学生の頃、つまり1970年代から知っていましたが、その頃はすでに伝説的な映画監督というイメージでした。

実際、黒澤監督の経歴を見ると1970年代以降は、製作資金を集めることが出来ず、映画製作も思うようにできなかったようです。

黒澤監督お既に60才を超えておられたので余計そういうイメージだったのかもしれません。

そんな僕は自分も60才を超えてから黒澤作品を何作を観て感銘を受け、そしてこれからも出来だけ多くの作品を観て行こうと思っています。

それには、現在動画配信サービスで過去の名作を見放題などで配信してくれるサービスが充実してきているので、好きな時に好きなだけ映画を観られるのです。

僕が契約しているU-NEXTでは、現在30作以上を観ることが出来ます。

「生きる」「七人の侍」「用心棒」「酔いどれ天使」などをU-NEXTで観ました。

特に「生きる」は、現在の自分ともっとも境遇的に近いものがあり、何度も繰り返し観ています。

 

『生きる』(1952年)

『生きる』(1952年)

官僚主義への批判や人生の価値に対する哲学的な問題を提示した黒澤明監督作

見どころ
癌に冒され余命いくばくもない老人を主人公にした黒澤映画の傑作。真面目一徹の公務員を演じた志村喬の迫真の演技が見どころ。ベルリン映画祭銀熊賞受賞。

ストーリー
30年間無欠勤で働いてきた市役所の市民課長・渡辺は、ある日自分が癌に冒されていることを知る。絶望と孤独にさいなまれ、これまでの事なかれ主義的生き方に疑問を抱いた彼は、最後に市民のための小公園を建設しようと奔走するのだが…。

 

この作品の中で、主演の志村喬が、「ゴンドラの唄」を口ずさむシーンがあります。
「命短し、恋せよ乙女」という有名な歌です。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

黒澤監督は、この最後の「明日の月日は ないものを」を一番言いたかったのではないでしょうか。

そしてこの映画を観るたびに、60数年前と現代は、そんなに進歩してないんじゃないか、と感じることもあります。

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