ベートーヴェン 交響曲第9番 合唱付

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こんにちは、
よぴまるです。

ベートーヴェン生誕250年の年は、今日で終わりです。でもルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンさんが250歳といえるのは、来年の誕生日の前日までです。

だから、今後もベートーヴェンに関する記事を書いて行きますし、もっと言えば、生誕200年だろうが、250年だろうが関係ありません。

ベートーヴェンの音楽が、永遠に流れる世の中であってほしいと思います。

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ベートーヴェン 交響曲第9番 合唱付

ベートーヴェンが遺した全9曲の最後を飾る交響曲です。もっとも第10番のスケッチも残っているようで、ベートーヴェンがもっと長生きしていれば完成していたかもしれません。

最後の曲は、交響曲第9番 ニ短調 「合唱付」作品125

完成は、1824年、ベートーヴェン54歳。
今から196年前のことです。

第1番から第8番は、1800年から1812年の12年間で作曲されましたが、第9番までは、同じくらいの12年間が空いてしまいました。

シラーの詩「歓喜に寄す」(1785年)に曲を付けると言うのは、若い頃からの30年来の願いでした。そのため単独の声楽作品も構想していたようです。
しかしながら、1817年ロンドンのフィルハーモニー協会から依頼されて着手した交響曲に、この声楽作品を合体する形にしたのです。
この辺は、常に革新的、前衛的な機軸で交響曲を作って来たベートーヴェンならではと言えます。

本腰を入れて作曲したのが、1822年から24年。
初演は、1824年5月7日に、ウィーンのケルトナートーア劇場で行われました。

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第1番から第8番まで初演の歳は、自ら指揮をしたベートーヴェンでしたが、耳の状態の悪化から、第9番に関しては、別に指揮者に依頼し、自分は傍らで、「総指揮」という形を取りました。

初演は、大成功だったようで、終演後、耳の悪いベートーヴェンをアルトの歌手が手を取って、客席の方に向けたというエピソードがあります。

ただ、収支は思っていたほど良くなく、ベートーヴェンは後日それを知って激怒したという記録もあり、再演も計画したようです。

日本で、ベートーヴェンの音楽が入ってきて、まだ130年ほどらしいですが、西洋の偉大は作曲家として”楽聖”として崇められ、立派な人、というイメージですが、ベートーヴェン自身はビジネスとして音楽をやったわけだし、生身の人間ですから、恋もし失恋もして、お金にもうるさかったようです。

まあ、その辺はおいおい僕自身も知識を広げていきたいと思います。

なお、おすすめのCDは、11月19日の当ブログ記事に紹介していますので、チェックしてみてください。
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ベートーヴェン 第九 永遠の響き

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