猫に使われる日々

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こんにちは、
よぴまるです。

昭和30年代に幼少期を過ごした僕は、当時犬や猫を飼うことは特別で、彼らは町に棲息する生き物と思っていました。
彼らにはそれなりにポリシーがあり、人との共存を臨むもの逆に人を避けるものがいたように思います。
そんな彼らに僕は、親しみを持つ反面、不気味さや畏れも感じていました。

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いまでは、三匹の猫を飼っている我が家ですが、当時は猫は敵でした。
飼っていた鳩が猫に何度かやられていて、いかに仕返しをするかをいつも考えていたくらいです。
子供の僕には、犬や猫はそれぞれ人格を持つ生き物で、目を見ると考えていることが分かったし、逆にこちらが考えていることも見透かされているように感じました。

僕が中学生の時、父が親戚から譲ってもらったと一匹の猫を連れてきました。可愛らしいメス猫で名前も付けて可愛がっていましたが、2年ほどでいなくなってしまいました。
それを聴いた祖母がその方がいいよ、というのです。
理由を聴くと「年を取った猫ほど怖いものはいない。人間の心まで見透かすから」と言ったのをよく憶えています。
もともと猫に対して不気味さや畏れを感じていた僕は、そんなものかと納得したものです。

現在、我が家の長寿猫みゅう(21歳♀)は、そんな僕の遠い記憶を蘇らせてくれました。
ここ4~5年ほど夜泣きがひどくて困らされていましたが、ここにきてすっかり静かになって来たのです。まさに解脱の境地のような表情になってきました。
そして鳴くときは、エサがほしい時、水がほしい時など自分の要求を伝えるときだけニャーオと鳴きます。
鳴かない時は僕をじーっと見つめ要求します。

毎朝、5時に起きてエサをやり、トイレ掃除をして、ブラッシングをします。
最近、自分が飼っていることを忘れ、猫に使われているように感じています。

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